お疲れ様です。
エイル・オブ・ジョイトイです。(若い人は分かりません。)
昨日後輩のなべごうに関するブログを書いたのですが、今日ホントにたまたま、なべごうに会いましたので今日も書きます。
私「なべごう♪GO♪GO♪」
笑いながら車からなべごうが出てきました。
なべごう「しかしエイルさん、幕末滅茶苦茶面白いですわぁ。」
なべごうはあれからというもの、学者のように幕末を日々調べているようでした。
私「いやホントね、今度マジで高知県行こうぜ。」
なべごう「行きましょう!前回行った時にですねぇ、・・・ホントにちょっと行き先を絞りすぎてたような気がしたんですよ。もっと色んな志士のゆかりの地を巡りたかったです。」
前回は龍馬さんに特化しすぎた旅行スタイルになってしまったと嘆いていましたが、1回目の高知県は大体というか、絶対そうなると思います。初めての高知旅行で、脱藩者第1号の吉村寅太郎や、龍馬脱藩の道案内をした那須信吾の歴史を巡ろうとは、よほど好きでないとやらないと思います。やはりネームバリューのある坂本龍馬を攻めるのが一般的だと思います。
例えば幕末をほぼ知らない友人に、「知らんと思うけど、強いて言うなら幕末誰が好き?」と質問したとしたら、恐らく坂本龍馬と答えると思います。歴史に興味が無い人間でも何故か知っている超ビックネームです。
そんな坂本龍馬ですが、切っても切れない人物として挙げるのはやはり武市半平太(たけちはんぺいた)だと思います。
武市半平太は白札郷士(しらふだ)という身分で、郷士の龍馬よりも土佐藩の身分制度では上位に当たります。
龍馬はお兄さんと年齢が20歳離れていました。龍馬が生まれた頃にはお兄さんの権平(ごんぺい)さんは家の仕事をやっていました。忙しいのであまり龍馬の面倒を見てやることは出来ませんでした。
なのでお姉さんの乙女(とめ)さんや7歳?年上の武市半平太が龍馬の面倒を見ていました。
幼馴染であり、親友であり、兄代わりであり、親代わりであるのが武市半平太でした。
幼い頃から武市は根気よく侍としての心構えや考え方を龍馬に色々と教えたと思いますが、ちっとも身につかなかったと思います。(剣術は身に付きました。)私の予想だと何年来の友人にガミガミ言ってもしょうがないので、覚えない事を教えるのを諦めて、長所を伸ばすメジャーリーグの育成方法にシフトしてます。
何故なら龍馬は現代の人間の考えに近かった為、ガチガチの真面目侍である武市とは性格も侍としての考え方も正反対なのです。
正反対であっても互いに友好的で、何故か相当仲が良かったと言われています。恐らくお互いにどこか強烈に惹かれる所があったんだと思います。
当時だと龍馬はかなりの変わり者扱いでしたので、「あぁまた、龍馬が変な事言っとるわ」「お前は変わらんのぉ」くらいな軽い感じで面白がっていたのかもしれませんが・・・・。
龍馬と武市さんコンビをセットで考えて高知旅行をしたらもしかしたら面白いかもしれません。ハンバーガーとポテトみたいな感じで。
肝心な最終的に2人はどうなるかですが、高知県に行けば・・・全て分かります・・・・。正直掘り下げると、1日じゃ終わらないかもしれません。
なべごう「いやーいいっすよねー郷士ってー、また幕末調べときます。エイルさんもまたなんか知ってたら教えて下さい。」
私「オーイエ♪」
再びなべごうが旅に出る(脱藩する)日は近い・・・・。